5月8日を「ウズキヨウカ」「オズキヨウカ」とよびます。仏教では、潅仏会言われ釈迦の誕生日を祝う日とされています
お寺の縁先などに設けられた「花御堂」の中に、右手で天をさし左手で大地を指したかわいい「誕生仏」が祭られ、参拝者は小さな竹柄杓で甘茶を仏像の頭上から注ぎます。
レンゲや、たんぽぽ、松の芯などの美しい花々で屋根を葺いた「花御堂」は釈迦の母麻耶夫人が無憂樹の下で釈迦を生んだことにちなみ、また、甘茶をそそぐのは釈迦の誕生日の時、「八大し竜王」が歓喜のあまり甘露の雨を降らして湯欲みさせたという伝説に基づいています。
この日、新仏のある家では縁者を招いて供養し、「オズキ団子」を作って新仏に御供えします。また、一般家庭でも「花折り」といって、お寺参りや墓参りをします。
6月頃から日照りが続き、やっと恵みの雨が降ると、区長から「雨喜び」の休みを伝える連絡がありました。また、適当な雨に恵まれて田植えが終ると、「雨喜び」をして次の日に小休みをとることもありました。
昔から「正月三日に盆二日、節句一日事日なか(半日)、あいの休みは一力(ヒトチカラ=2時間)」と言っていました。これが、農村の休みの基本だったようです。
今のように休日が定まっていなかった昔の農村では、正月や盆、節句などの定まった休みの他は、青年団の要求や区長の判断で、休みが村毎に設定されていたようです。
お地蔵さんは、村境や道端によく祀られており、生活の中に溶け込んだ仏様です。
河谷巻では7月24日に地蔵講(祭り)が行われます。地蔵は月の24日が命日とし、盆月の8月24日に地蔵講(祭り)を行うことが普通ですが、一ヶ月早く行っています。
当番により準備され、15時頃お地蔵さんに全戸がお参りし、広場で輪になって座り、5メートルもある数珠を全員が輪になって廻す数珠繰りが行われています。
「なんまいだ」と念仏を称えながら右廻り、左廻り百万遍廻し、回向するといわれています。実際に右廻り、左廻り百万遍(100万回)廻すのは大変ですので、1回を5万とか10万とかに換算しています。数珠を入れる数珠箱に天明8年(1788)の銘があります。
お盆についての由来はいろいろありますが、先祖を大切にする儒教の教えに由来し、寺院が各家の戸籍を管理していた江戸時代に入って、盆行事も国民的な行事になって行ったようです。
8月7日を七日盆といい、この日から盆が始まるとも言われ、この日に、墓掃除をし、盆を迎える準備をしますが、最近では8月最初の日曜日する所が増えているようです。
また、8月10日は、「千日祭り」と言い、毘沙門さんに参ると、千日参ったと同じ御利益があるといってお参りします。特に行事はありませんが、かっては、盆踊りをしていました。
そして、8月24日は、「地蔵盆」、「送り盆」、「終わり盆」、「愛宕さんの祭り」などと言い、この日で盆が終ると言われています。
桑原では、「火ともし講」と言って公民館に集まって懇談し、夕方に公民館近くの「大石灯蘢」に松明で火を焚いて、各自が持参した「松明け」にこの火をつけ、自分の田の辺に立てていました。また、「万灯会」といい「万灯山」の上で火を焚いたと言われています。今では昔の思い出になっていますが・・・。
「八朔」とは、8月1日のことを意味していますが、丹波では1ヶ月遅れの9月1日に「八朔祭り」が行われます。
「八朔」は、「田の実の節句」とも言われ、田の実を「頼み」に解釈した習俗のようです。
桑原でも昔は、「八朔祭り」に奉納相撲が行われていました。
また、桑原自治会、桑原生産森林組合の主催で、9月の第2土曜日位に桑原生産森林組合共有林の松茸山の入札が行われ、落札者の入山が解禁となる反面、一般の人の入山が禁止となります。
以前は、10月21日(今は、21日に近い前日の日曜日)に、本郷、川阪、遠方、桑原四ヵ村を氏子とする「春日神社」の秋祭りが行われます。
各村の鉾山が4台参加し、「鉾山」には子供が10人ほど乗り、鐘、笛、三味線、太鼓で囃し、にぎやかで壮観なものです。
午後1時ごろ、4集落4台の「鉾山」、「子供太鼓みこし」1台が宮入を済ませ、神主が祝詞をあげたあと金幣4本が各集落の年番の者に手渡され、お旅道へと進みます。
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当日の朝、各巻で「幟」が立てられます。
「鉾山」を持ち帰り、飾り付け13時の宮入に合せ「チンーチンーリンーリ」の囃しで桑原の「鉾山」は「フレッシュランド」より、「春日神社」へと桑原路を進みます。
「鉾山」は年番(巻単位)の山番が押し、先導は3本の「御幣」を先につけた長い竹竿を持った「警護持ち」が行います。警護持ちは山番で選任されます。
今は山番では人手不足の為、「八日会」や乗り子の親等で安全な、山鉾巡行に協力しています。