お盆についての由来はいろいろありますが、先祖を大切にする儒教の教えに由来し、寺院が各家の戸籍を管理していた江戸時代に入って、盆行事も国民的な行事になって行ったようです。
8月7日を七日盆といい、この日から盆が始まるとも言われ、この日に、墓掃除をし、盆を迎える準備をしますが、最近では8月最初の日曜日する所が増えているようです。
また、8月10日は、「千日祭り」と言い、毘沙門さんに参ると、千日参ったと同じ御利益があるといってお参りします。特に行事はありませんが、かっては、盆踊りをしていました。
そして、8月24日は、「地蔵盆」、「送り盆」、「終わり盆」、「愛宕さんの祭り」などと言い、この日で盆が終ると言われています。
桑原では、「火ともし講」と言って公民館に集まって懇談し、夕方に公民館近くの「大石灯蘢」に松明で火を焚いて、各自が持参した「松明け」にこの火をつけ、自分の田の辺に立てていました。また、「万灯会」といい「万灯山」の上で火を焚いたと言われています。今では昔の思い出になっていますが・・・。
昔は、各地のお堂やお寺で日を変えて、盆踊りが行われていましたが、桑原では、盆過ぎの土曜日に、桑原自治会・桑原八日会の主催で、「桑原ふるさと祭り」が、フレッシュランドで行われます。
伝統的な音頭である「江州音頭」や「左衛門音頭」は、各地で少なくなりましたが、「桑原ふるさと祭り」では「八日会」が「左衛門音頭」等を習い、昔ながらの音頭で踊りの輪が広がります。
また、八日会による模擬店や花火も打ち上げられます。
この「サエモン」とは「祭文」の転訛したものと考えられます。江戸の中期、歌舞伎の影響も受け「お染め久松」「八百屋お七」「お夏清十郎」「お初徳兵衛」「鈴木主水」などの哀れな最後を遂げるという語りものの民間芸能へと転化した「歌祭文」が京・大阪を中心に盛行し「浄瑠璃」の目覚ましい流行に押されました。
江戸後期に入る頃、都会からは姿を消し滋賀、奈良、兵庫県北部では、歌祭分のネタを音頭に用いた盆踊りが今も残っています。「江州音頭」や「播州音頭」、そして「河内音頭」も基は同じなんでしょうね。
盆踊りは昔、今ほど娯楽のなかった時代に「若い衆」が夜通し遊ぶよい機会だったらしく、特に、終戦直後は復員した青年が多く、毎日踊りを梯子し、自転車で「市島の神池寺」まで行ったとか、「河谷」から山を越えてどこそこの盆踊りに行ったことがよくあり、下駄を履き潰したとも言われています。